パート主婦的シンプルライフ

どこにでもいるような普通のパート主婦。旦那は普通の会社員、子供は小学生。私の頭脳はぺらぺら。

「おふくろの味というコピー不可能な料理」突然小話

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 こんにちは、いつも来て頂いてありがとうございます。過去に公開した記事ですが、思う所があって非公開にしていましたが、日付を変えて公開します。

エッセイというか小説みたいな感じで書いてます。

以前読んで頂いた方は重複する内容ですみませんです。

 

 

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「おかんに料理教えてもらったらいいやん、そういうの必要やと思うで」

 

突然、彼が言った。その言葉を投げかけられた人物は「栗原はるみ」の季刊誌を読んでいた。朝なのか、昼なのか、休日なのか、夕食時なのか、お風呂入った後なのか、子供が赤ちゃんの頃なのか、はたまた子供を産む前だったのかはわからない。

 

突然、降ってかかってきたその言葉をそのまま頭の中でリピートする。その言葉の意図する所が全く理解できなかった。言葉の表面をなぞれば、事あるごとに義母に教えを乞え、という事なのか。有名な料理研究家のレシピ本やネットでのレシピを参考にするより「おかんの味」を作れという事なのか。

 

ぐるぐる考えた後「なあ、このグラタンおいしそうやで」と見ていた季刊誌のレシピの写真を見せた。彼はさも呆れたように「はあ」とため息をついた。

 

何故そんなことを言われなければいけないのか。下手すれば悪意ともとれるその言葉は、心を穏やかじゃなくさせるのに十分な威力を持っていた。彼が彼のおかんの味を食べたいのなら、彼自身でやればいいじゃないか、と思う。

 

ほんの昔、きゅうりとわかめの酢の物を作るため、下ごしらえをして調味料も入れたそのボウルを彼に渡して「和えて」とお願いをしたら、素手でもみだした。手をきれいに洗ったか洗ってないかもよくわからないその手で。

ああ菜箸も一緒に渡せばよかったのか、と何故か自分が反省したものである。

 

そんな事をしでかす彼自身がおかんの味を教えてもらえばいいと思った。

 

断っておくが、自分は義母が大好きである。他人の作った家庭料理はあまり食べれないが、義母の作るごはんは食べれる。義母の作るすべての料理が美味しい。

 

何度か義母の料理を食べて、手伝い何か再現できるものはないかと思い、作り方を拝見すると、ほとんどが目分量と義母の経験だったので、あきらめた。当時主婦歴5年未満で大匙スプーンと小匙スプーンと計量カップが欠かせない自分にはハードルが高すぎる。

 

目分量はその人の経験と普段使う道具によるので、それを教えてもらうというのは難しいと思う。未だに目分量で調理できるのはきんぴらとカレーぐらい。それは自分自身の経験の賜物である。

 

一通りの家庭料理は食べて育ってきたつもりだった。自分の母親は現代の言葉を借りれば「毒親」「ワンオペ育児」「ネグレクトとまでは言えないけど、あれってネグレクトの一種では・・・」というような母親だった思う。ワンオペ育児を課せられていた母親は気の毒だとは思うけど。そんな母親でも作った料理を家族に食べさせてくれたし、料理を作っている所も見せてくれた。

 

ただ自分が人生の伴侶と出会う前には母親は他界していた。それからは料理を教えてくれるのは自分で情報を収集したうえで集めたレシピの数々だった。

 

経験が伴わないので、それは彼の言うおかんが作る料理には遠く及ばないだろう。仕方のないことである。こればかりは経験を積むしかないと思う。

 

 

何年経っても、大匙スプーンも計量カップも手放せないけど。

 

 

 

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